みなさんこんにちは、こりあゆです!
今日の記事は、前回の記事の続きになりますので先にこの記事からご覧ください。↓
目次
冬ソナブームに乗って韓国旅行へ
母が韓流の大ファンになり、初めて家族で行く海外旅行!韓国へと旅行に行きました。
まあ私は小学生だったので、正直この時の旅行をあまり覚えていなくて。早く日本に帰りたくてうだうだしていましたし(笑)
今となっては、2000年代の韓国だなんて味があってすごく素敵な街並み!!なのに、記憶にあまり残っていないことがとても悔しいいいいい!
多分2003年か、4年か、5年ごろです。
(写真はネット検索より拝借。2000年初めのソウル)
夏休みの宿題が本当に大嫌いだった私は、旅行記を異文化の紹介的な感じで終わらせようと(笑)
旅行の写真を使って韓国の紹介レポートを描いたのは覚えています。あれもう捨てちゃったんだろうな~見たいんだけども。
今私がその当時の韓国で覚えているものといえば、
ヤンニョムが食べられなかったトッポッキ。
私がおもちが好きだから好きだろうと買ってくれたんですが、
写真のような形の大きな長いおもちが入ってるこの料理が不思議でした。本当におもちだけしか入ってなかった記憶が(笑)
今では大好きなこのヤンニョムの味が、当時は受け付けなくて水で全部とってから食べたのを覚えています…w
一口目で超ショックを受けた冷麺
今とは違い、海外の新鮮さ、面白さとかが全くわからなかった当時は早く帰りたくて仕方がなかったんですが、
大好きな冷麺があるよ!と言われてすごく楽しみにしていた私。
冷麺=冷やし中華だったので、もちろんこれ↓を想像していて待っていたら、ビジュアルが全く違っただけでなく
今は韓国の冷麺大好きですが、それでもお店によって全く味が違って、ものによってはあまり美味しくない…と感じる事もあるほど、
お店にもよるし、日本人は馴染みがあまりない味なので好き嫌いが分かれるんじゃないかなと思うんですよね。
まだ小学生だったのでこの酸っぱい味が結構衝撃で「美味しくない…」と思わず言ってしまった記憶があります…(笑)
ムングニョンちゃんがあちこちに
国民の妹が、IUでもなくスジでもなく、ムングニョンちゃんだった時代。
秋の童話を見てムングニョンちゃんを知っていたので、あちこち広告に登場しているグニョンちゃんを見て、少しホッとしていました(笑)
文字もわからないし知ってる人もいないので、なんか親近感が湧いたんですよね~
初めて見た海外のマクドナルド
今では英語表記が殆どの韓国のマックですが、2000年前半はまだハングルが多かったんじゃないかなと思います。
お母さんから「韓国のマックの発音は、マクドナルドではないんだよ。」と教えてもらっていて、
実際に見つけて写真を撮ったんですが、その写真が上の画像と似ていたのを思い出します。
当時はㄷとㄱがこんがらがっていて、
確か夏休みのレポートに「韓国ではマクドナルドではなく、マクゴナルゴと読むらしい」と書いた記憶がある…真っ赤な嘘で草
書いていて思ったけどなんとなくこのお方が頭に浮かんだのも草
と、覚えてる事はあまり多くないんですが、冬ソナのロケ地に行って実際にユジンになった気分を味わったり(笑)
早く帰りたいなんて言いながらも意外と楽しんでいたなあ、自分。
父が仕事で知り合った韓国人夫婦(二人とも日本語ペラペラ)に案内してもらったので、観光地だけじゃなくて結構地元の人しか来ないような所にも連れて行ってもらったらしいんですが、
驚くほどあまり記憶になく、どこに泊まったのかも、韓国料理食べられないのに何を食べてたのかも全く覚えていない…
みんなで囲った食卓にこれが出てきて、おもちだと思って食べたら大根で、絶望した記憶しかない…
と、本当にあまり記憶がない中で、
物凄く鮮明に記憶に残っている出来事があるんです。
初めて生の韓国語に触れた日
その韓国人夫婦と私達家族で、食事に出かけた時の事。
マックのドライブスルーとかでよく、子供達だけで遊べるブースがある所あるじゃないですか。
↑そうそうこんな感じの所!
マックではなかったんですが、ファミレスのような所に行って、外にトランポリンが置いてある所だったんですね。
大人同士の会話って暇なので、私と弟でトランポリンをしに外に出たんです。
そしたら既に、韓国人の子供達がトランポリンで遊んでいて。
父の知り合いの韓国人夫婦の奥様の方が一緒にトランポリンに来てくれて、先に遊んでいた韓国人の男の子たちに向かって
「この子達、日本人だから。一緒に遊んであげてね」
みたいな事を言ってくれたんですが、そういえば奥様は韓国語で話していたのになんで奥様が喋った内容を覚えているのかは謎である。
そしたら、男の子2人が私達に寄ってきて
“일본사람? (日本人?)”
と話しかけてきたではないですか。
色々聞き方あると思うんですが、前の記事の通り私は「イルボンサラム」という単語しか知らなかったので、일본사람이야? 일본인? 일본인이야? この3つの聞き方をされていたら聞き取れなかったかもしれない。
運良く「イルボンサラム?」とだけ聞いてきたので、
「うん。」
と答える私(笑)
それから一緒にトランポリンをして遊んだんですけど、今考えるとこれって結構面白い経験だったなと。
この男の子たちは、私たちが日本人だと聞いてどう思ったんだろうか。
そして私は韓国語なのにも関わらず、特に動じる事もなく「うん。」と普通に答えていて、子供ってやっぱり怖いもの知らずで抵抗を感じる幅が狭いから吸収しやすいのかなと。
勉強をしてから外国語で話しかけられたら、そのあとなんて返そう、うまい返しをしなきゃ、とか色々考えてしまうからだめなんだろな。
いや、だめではないんだけれども、萎縮してしまうのって外国語を習得するにおいてすごくもったいない事なので。
言語は、本当にコミュニケーションツールでしかなくて、疎通が出来ればそれでいいんですけどね。
ちなみにこの話を書いていたら面白い事思い出したんですが、
韓国にいる間、小学生の私は、なぜかわからないけど日本人だってバレないようにしなきゃ!と思っていて(何故wwwww)
弟の名前、健太っていうんですけど、
旅行中は健太の事を「ケンチョル」と呼んでいました。
大草原wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
そして「ケンチョル」と呼ばれて普通に振り返ってた健太も健太で草すぎる
せめてミンスとかチョルスにしてほしかったわ。小学生なりに韓国っぽい名前で考えたんでしょうけど(笑)
と、今日は誰得って感じですが、自己満で昔話を書いてみました。
やっぱり文字を書くのは面白いですね。
時々コリアユノハナシ更新していきたいと思います。
それではまた次の記事でお会いしましょう、さらば~
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