みなさんこんにちは、こりあゆです!
今日は私の大大大好きな、この方を紹介する記事を書こうと思います。誰かって、そう、このお方です!
日本ではJ.Y.Park(一部では餅ゴリ)でお馴染みの、パク・ジニョン氏。
(個人的にJ.Y.Parkという呼び方がなかなか慣れないので、当ブログでは韓国風にパク・ジニョン氏と呼ばせてください)
まさかここまで日本、そして世界でも有名になると思っていなかったのですが、元々すごく好きでリサーチしたりしていた人なのでいつか記事を書きたいなーと思っていました。
(ちょこちょこ時間を縫って記事を書き溜めていたら、数ヶ月経ってしまっていたのは内緒)
JYPの代表でもあり、ご本人自身がアーティスト、そしてプロデュース、作詞作曲までも務める「天才」ですが、この方は何度も挫折をしかけて努力して這い上がってきた「努力ありきの天才」です。
私の知っている限り彼のデビュー前についてまとめていきたいと思います!
目次
ブラックミュージックに心を奪われた小学生時代
1971年12月に生まれたパク・ジニョン氏。
(ちなみにAB型。ワシと同じ何)
小学1年生の時に父親の仕事の関係で2年半ほどアメリカに住むことになります。
元々好奇心旺盛でしたが、アメリカで黒人の方たちとダンスを通してダンスや音楽にどっぷりハマってしまった彼。(噂によると、黒人とのダンス大会で優勝をしたんだとか)
7歳のパク・ジニョンさん。51歳の現在とお顔が同じ(褒めてる)
今も英語を流暢に話すことが出来るのは、大人になってからも勉強をし続けているおかげですが、
とある番組で「子供の頃2年半アメリカにいただけじゃ、英語完全に忘れなかったの?」との問いに、
「マイケルジャクソンにとにかくハマってしまい、韓国に戻ってきてからも毎日3時間は踊り、アメリカ軍のテレビ番組をずっと見続けていたから、忘れなかった。」と答えています。
当時の動画は残念ながら残されていませんが、SM、JYP、YGなどの大きい芸能事務所は特に90年~2000年代はダンスの先生として黒人の方をつける傾向にあるくらい、
音楽だけでなくダンスもアメリカのブラックミュージックに影響されていました。
(2008年にアップされたパクジニョン氏がダンサーと踊る動画です。こんなゴリゴリなのに身軽でしなやかな動き、磨きに磨かれている…^^)
学校の成績もトップ、超エリート→音楽の道へ
元々小学生の頃から音楽に才能を見出してはいたものの、
今でこそ韓国といえば「練習生文化」が有名ですが、70~80年代の韓国ではそもそもアイドルグループという概念もなければ練習生の概念もない。
歌手やダンサーになるための道もかなり限られている時代だったため(日本も同じですね)、パクジニョン氏は学校に通い、
中学~高校でとても優秀な成績を維持し続け&生徒会長まで務め&先生も「なんでもできすぎる子」と認めるほどだったとのことで、
そのまま超エリート延世大学の地質学科へと進みます。
大学2年生までは音楽の道に進むことを考えていなかったそうで、
地質学科を選んだ理由は地球科学の先生になって子供たちに教えたかったから。
基本韓国の大手芸能事務所は学校との両立は必須ですが、JYPが特に誠実さや成績にも厳しいのはパクジニョン氏本人が学校に通いながら得たものが大きかったからかもしれませんね。
そんな中、勉強は続けながらも踊ることはずっと大好きで、大学2年の頃ディスコ(今でいうクラブ)で踊っていたところ、
キム・ゴンモ(歌手)のマネージャーに
「ダンスを教えてくれる人が必要なんだけど、やってみない?」
と声をかけられます。
クラブでダンス教えてくれる人探す時代()
当時他の大学生と同じように、パクジニョン氏も과외(日本でいう家庭教師のようなもの)のアルバイトを2つやっていましたが、
時給が比べ物にならない上踊りながらお金貰えるんだったらやりたい!と思って始めたことが音楽の道に入るきっかけとなりました。
そして、キム・ゴンモ氏のバックダンサーとして活躍し始めた彼。
(クラブからの歌手のバックダンサーになれてしまう、イ・ヒョリの記事を書いていた時も思いましたが、この時代のミラクルが凄すぎる)
そこでもダンスの才能を見てあちこちから歌手のオファーが来ましたが「歌手は専門知識のある者がやるべき」だと思っていた彼は、
ずっと断り続けながらも、だんだんやってみようかな、という気になったのだといいます。
音楽の道に進むことになったきっかけが、個人的にはとても意外でした。←
今のパクジニョン氏を育てたキム・ヒョンソク作曲家との出会い
「歌手、やってみようかな」と思った彼は、しっかりと音楽の実力をつけなければと思い作曲家キム・ヒョンソクの元を訪れます。
(実力をつけるために作曲家に会えてしまう90年代、スギョイ)
作曲家のキム・ヒョンソク氏といえば当時の韓国では作曲家としてトップの著作権収入、知名度、実力を誇る人物。
楽器を1つ1つ鳴らしながら音楽が出来ていくのが幻想的で、
彼が作曲する姿を見て「これだ!これがやりたい!」と思い、ヒョンソク氏に弟子入りを申し込みます。
あのぅ…これは一体何をしている写真
たまたまパク・ジニョン氏が訪れた際にアシスタントを募集していたとのことで、弟子入りを許可してもらい(というかヒョンソク氏は業界でも断れない優しすぎる人間として有名なのですが)
ヒョンソク氏の家で暫くアシスタントをしながら生活し、作曲を教わることになりました。
ここで有名なエピソードがあるんですが、個人的にとても好きなエピソードで。
ヒョンソク氏はパク・ジニョン氏から一銭も貰うことなくタダで作曲を全力で教え続けたわけだったのですが、
パクジニョン氏も正直「何故赤の他人にここまでしてくれるんだろう」と思ったくらいだったそう。
人は誰でも、自分が努力や経験を積んで得たものを無料で簡単にノウハウを教えたりしたくはないものですが、
ヒョンソク氏の場合は違ったんです。
パク・ジニョン氏も知人を通して後で知った話。
ヒョンソク氏にとある人が
「ジニョンは才能あると思うよ。もう教えない方がいいんじゃない?」
と言ったところ、ヒョンソク氏の反応はこうでした。
「全部教えてあげてから、自分も頑張ればいいんだよ」
後に、そんなキム・ヒョンソク氏から作曲を1から10まで学び次々にヒット曲を作り続け、最終的には韓国で著作権収入1位がヒョンソク氏からパク・ジニョン氏に。
事実上、弟子であるパク・ジニョン氏の成績の方が振るう形となりました。
そんな自分が著作権収入が1位でなくなった時も、ヒョンソク氏はこう言ったそうです。
「いつかは自分が2位になるのだから、1位になったのが自分が教えたジニョンで良かった。」
こんな
大人に
なりたいな。
ーこりをー
オーディションで落ちまくる日々。SMで落ちた理由が「外見」だった
音楽の道に進むことを決めたパク・ジニョン氏は大学に通いながら歌手のオーディションを受けて回ります。
この頃のオーディションでは自分で曲を持ち込んだりすることもよくあったそうで、
パクジニョン氏は自分で作詞作曲し、後にデビュー曲となる날 떠나지마という曲をオーディションで披露しました。
が、オーディションには落ちまくり、
最後の最後に知人を通して機会を得たあのSMエンターテイメントでのオーディション。
これが最後のオーディションだと思い、スマン先生の前で全力で曲を披露したジニョン氏でしたが、
披露後、
「ああ……曲は良いのに…ああ…!!!!!!!」
と何度もパクジニョン氏の顔を見て残念がられ(失礼)
悩みに悩んだ末、不合格を言い渡されました。
が、そのあと
「いや、やっぱりちょっと待って」
とスマン氏。
/もしかして追加合格か…?!\
と希望を抱いて振り返ると、スマン氏から出た言葉は
「曲だけ売らない?」
悔しくて「売りません!!!!!」と言い残して部屋を出たといいます。(ちょっとこれは可哀想すぎる)
パクジニョン氏の体格と外見があまり芸能界にいないスタイルだった事から、それを理由に何度もオーディションには落ちた事はあったものの、
SMは最後のオーディションだった上、結局は「顔以外は全部良いが、顔で不合格」と言われたようなものだったため、あんなに悲しい気分だったことはない、と本人も語っています。
どうしても芸能界となると外見を気にしないわけにはいかないわけですが、
「それだけの屈辱を味わっても整形をしなかった理由は?」とのインタビューに対するパクジニョン氏の回答はこちら。
「僕はね、可能性のないところに投資はしないんですよ」
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ごめんなさい笑っちゃいけないんだけどセンスある回答すぎません?
私はパク・ジニョンさんのユニークなお顔すごく好きなんですけど、何よりこういう質問にもセンスある回答のできる、頭の回転の速さやセンスを尊敬しています。
ジニョン氏、ラブ!(何)
待望のデビュー後も、外見のバッシングを乗り越え
SMにも落ちて途方に暮れていたところ、
その後たまたま歌手の育成を考えていた映画制作会社(!)から声がかかり、ついに事務所に所属、歌手デビューを準備することになったパクジニョン氏!
元々SMでも披露した、날 떠나지마という曲はバラードでしたが、事務所の希望でダンス曲に変えてデビューすることに。
そしてなんと幸運なことに、
デビューステージに立つ前にこの曲を「CMで使いたい」とのオファーが!
あのお菓子で有名なオリオン社の、センスミントというお菓子のCM。
そしてCMに出演した俳優はというと、あの、
新人時代のジョン・ウソン氏である。すっごい時代(語彙力)
そしてこのCMを見た大韓民国国民。
(お顔がとんでもないなおい)
そしてCMの画面の端っこには「歌:パクジニョン」とのテロップ。
ドチャクソ顔面天才、新鮮でキャッチーなメロディーに歌声。ここで国民は皆思うわけです。
このドチャクソイケメン=あなたがパク・ジニョンなのね!?キャァー!ファンになっちゃう〜!(国民の声)
今の時代のようにBGMや歌手の名前を簡単に検索できるわけもなく、音楽番組で曲が披露される日までこの誤解はそれはそれは広まり、
ついに音楽番組でパク・ジニョン氏(=ジョン・ウソン氏)が見られる!とファンが殺到したステージがコレ
BGM:〜♪(曲開始)
観客:キャァ〜!
観客:「誰?????????????????????????????」
こうして最初は「コイツ誰なのよ!」みたいなクレームが殺到し国民をガッカリさせてしまった彼ですが(ひどい)、
それ程曲のインパクトも話題性も高く、一気に知名度を上げて歌手&作曲家として成功していくのでした。
あと全然関係ないですが、わざわざ歌手のプロフィールに何大学の何学科、何年なのか出してくるところもなかなか面白いですよね。
しかも、舞台に上がる時に実際にナレーターがパク・ジニョン氏を紹介したナレーションがこちら
「イケメンではありませんが、個性的な顔をしています。パク・ジニョン!」
〜今なら炎上案件〜
ダンス歌手、作曲家、そしてプロデューサーとして大成功。
紆余曲折ありましたが、ダンス歌手としても、ビニールの衣装で舞台に上がり話題になったり、ユニークな曲でどんどんトップに上り詰めていくパク・ジニョン氏。
一部ではあのPSYがデビューした時よりも個性的すぎてインパクトが途轍も無かったとバラエティで言われていました(笑)
もうここからのパク・ジニョン氏は、みなさんご存知かと思います。
自分がアーティストとして活躍するだけでなく、JYPエンターテイメントを設立しトップ歌手を育てプロデューサーとしても活躍。
個人的に旧事務所のイメージが消えない
今でこそHYBEが勢いをつけてきて「4大事務所」と呼ばれていますが、10年前〜大手事務所といえば3つ。
3大事務所の中にJYPも入るものの、SMがひとり勝ち、その後をYGとJYPが追っているようなイメージだったのが、
もうどこか特定の事務所がひとり勝ちのイメージがないほど、JYPもトップへとのし上がってきました。
長い間、維持するだけでなくそこから更に這い上がるって本当にすごいことですよね。
苦労を重ねてきた彼だからこそ説得力があり、所属アーティストからの信頼を得られているのだろうなと思います。
本当に凄いのは、彼がやりたいと思ったことに関してとことん極めようとした姿勢。
歌手としてトップになった時も、作曲家として著作権収入が1位になった時も、どこか虚無感を感じたという彼は「本当に自分が何を求めているか?」を常に追求してきたそうです。
自分がやりたかったことが1つ叶っても、そこからまた考えて1つずつトライしていて、他人に厳しいだけでなく自分にもストイック。
本当に尊敬する人の1人です。
最後に、パク・ジニョンさんの名言は沢山ありますが、個人的に私が思っていて行動していた部分なのでとても印象的だった名言。
名言で今日のブログは締めたいと思います。是非この記事をきっかけに皆さんにもパク・ジニョンさんについて更に知っていただけたら嬉しいです!
人と付き合うのに時間を使いすぎるな。人脈は長い目で見たら何の意味もない。
人脈があれば成功できると考えている人が多いけれど、短期的に見たらそうかもしれない。
もちろん本当の友達であれば別の話だけれど、長期的に見たら人間は結局は自己中心的なので、お互いウィンウィンな時のみ助け合う。
何かを得るために会いたくもない人に会ったり、集まりに顔を出したり、そんなことに時間を使わず自分の能力、実力を伸ばすために時間を使いなさい。
さて、今回のブログもいかがでしたでしょうか。楽しんでいただけていたら嬉しいです!
それではまた次の記事&動画でお会いしましょう〜〜!
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